本物と偽物と、SFとAI。スワンプマンと僕。

こんにちは!

 

今日はちょっと長文になり過ぎちゃったかも!

 

今日、xenobotという生きた細胞で作られたロボットの記事を見つけた。

見つけたって言っても、もともと1月前半には日本の複数のメディアで取り上げられていたことから、単純に僕が知らなかっただけで、既に知っている方も少なくはないのかもしれない。知らぬ間に情弱へ転向していたことが悔やまれる。

www.gizmodo.jp

Gizmodoの記事が分かりやすいと思うので、あえて僕から解説することもないと思うし、解説できることもない。

ただ、すごく興奮する記事だなって思う。

だって、xenobotsは、生物学的素材100%使用なんですからね!(何かの健康食品感)例えば黒くサワサワうごめく、例のあの生物に電気的信号を流すことによって制御する、っていうのは登場していましたし、それもすごくSFだな、って感じですけど、今回はそういうのではなく、一から生命みたいなのを作り出し、動いてる。

そしてケガをすれば、自己修復できるし、動く。(2回目)

生殖や摂食などはしないみたいだけど、立派な生物じゃないですか。

すごくSF。もちろん、手放しに称賛しているわけではありませんが、ワクワクをありがとうございます、って感じ。

 

きっとこれからまだまだいろいろな問題があって、一筋縄では行かないんでしょうし、論理的な問題が発生すればとても厄介だろうと思います。

建前上だけでもロボットってことにしておかないと、衝突もありそうですし。

 

これを知って、読んで思い出させるのは、学生時代の友人となぜかスワンプマン。

「学生時代の友人」は人工生命とか人工知能を独学で学んで作るすごい人なのだが、あまり勝手に触れると怒られそうなのでここまでにしておく。

ただ、僕は彼にあこがれてるし、尊敬してる。苦労も多いことだろうとは思うけど。

 

スワンプマン。これが今日の本題になるはずだった話。

皆さん「スワンプマン」ってご存じでしょうか?

スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。思考などの心の状態や発話の内容を主体がその時とっている内的な状態だけでなく、来歴にも依存するものとして捉える彼の理論への可能な反論として提唱された[1]。ルース・ミリカンの目的論的意味論などの同じく歴史主義的・外在主義的な志向性や内容の理論への反例としても論じられる[2]。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。

ウィキペディアWikipedia)スワンプマン

思考実験です。関係ないかもしれませんが、第2回AIブーム*1のちょうど終わりの時期。

内容としては、

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[3]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

 ウィキペディアWikipedia)スワンプマン

f:id:creators_plus:20200208154435p:plain

ある男とスワンプマン

 ある男とスワンプマンは死んでしまった男と全く同一で、同質形状の生成物であるために、物体としては完全なコピー。

問題は、スワンプマンはある男本人であるといえるかどうか。

iPhone指紋認証(Touch ID)や顔認証(FaceID)は難なくクリアするでしょうけど、例えば彼の家族や恋人はどう思うでしょうか。

ことの真相を知らなければ、もちろん彼(ある男)を彼と受け入れるでしょうけど、もしも死んでしまっている事実を知った時点で、家族は彼をどう見るでしょうか。

 

個人的には彼を彼として受け入れてしまいそうですけどね。いやどうだろう。

長く一緒にいた人だと逆につらいかも。

きっと、スワンプマンも彼と同一であるならば、周りが悲しんでいる様子を見て、同じように悲しむんでしょうし。目の前のスワンプマンを否定すれば、彼を2回失うことに他ならないけど、そのスワンプマンも彼ではないから、云々。

 

僕は記憶の連続性かなって思ってました。漠然とね。

この問題って、よくSFに出てくるじゃないですか。別に問題ってわけじゃなくても。

例えば、僕の好きな宇宙大作戦(スタートレック)の「転送」やX-Filesにも「記憶をインターネット上にアップロードして不死を実現する」話があったし、トランセンデンス(2014)なんかはまさにこれ。

 

宇宙大作戦(スタートレック)の転送も、広義でのスワンプマンじゃないかってね。

この場合は多分、本人の構造を分子化して、それを船内、または他の場所で本人と同じように組み立てる感じなので、元の素材は本人なのかな?

本人を分子レベルでバラバラにして、別の場所で組み立てれば、本人の素材を使ってるから本人なの?

 

そういう観点で見れば、例えば、体の一部が年に1cm²ずつ機械に置き換わっていく場合、数十年たって、完全に機械に置き換わったら、それは本人じゃなくなるの?

 

そう思うと、記憶の連続性と単一の意識なのかなって。

要するに、置き換わっていく間にも意識がつながっていて、且、それは2つの存在にはならない場合は本人といえるのではないかって。

 

だって、本人を名乗る人物が2人いたら、どっちかは本人じゃないでしょ?

 

今よく言われる「人工知能」って殆どSF的な話ばっかりだけど、xenobotsみたいに圧倒的SF的な話が現実になってるとそうもいっていられないかなって思う。

汎用AIと人工生物がいい感じで融合して、新しい生命、生物の形になっていくのであれば、きっとそれを「永遠の命」への渡り船にしようとする人も出てくるんじゃないかって思う。

まあ、あくまでも思ってるだけで、考えているわけではないのでわかりませんけどね。

 

ちなみに、さっきの「1cm²ずつ機械に置き換わっていく」って、言う話だって、物を食べ、代謝しているが限り、我々の体は常に別のものと置き換わっているわけですからね。これとそれの違いはxenobotsの出現によって考え方が変わるのかも。

 

では!